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「米軍vs県警」疑惑の銃弾大戦争勃発!発生日に食い違い

2009-04-11 06:29
2009年04月10日 沖縄タイムス ⇒発生日に食い違い 流弾事件/再三通報 県警10日→米軍11日【04月10日】 ※リンク切れ

 金武町伊芸区で昨年12月、乗用車のナンバープレートに銃弾が突き刺さっていた事件の発生日が県警と在沖米海兵隊で異なることが9日、明らかになった。県警は事件発生日を12月10日として再三米軍に通報したというが、在沖米海兵隊提出の最終調査報告には12月11日と記載されていた。県警刑事部捜査一課の親川啓和課長は「米軍が事件発生日を(12月)11日としたのは理解できない。真相を突き止めるため捜査を続ける」としている。一方、事件現場となった金武町伊芸区では「米軍は真実を隠そうとしている」など反発が広がっている。

 県警は9日、事件発生日の認識の違いを指摘するとともに、伊芸区への流弾の確率が極めて低いとした解析結果の提供を求める書簡を在日米海兵隊基地司令官あてに送った。

 県警によると、被害者らの情報などから捜査の初期段階で発生日時を10日と特定。事件発覚後、米軍に発生日時を随時伝えていたというが最終調査報告では「事件発生は訓練終了以降の11日」との認識が示されていたという。

 米軍側が示した事件発生日について、被害者の玉城ミツさんは「被弾が11日というのはあり得ない。米軍は事実を曲げ、真実を隠そうとしている」と批判。11日には町内の幼稚園の行事に出席していたといい、証言すら否定されたことに強い怒りを示した。

 池原政文伊芸区長は「11日の可能性はみじんもない。米軍はあくまでしらを切り通すつもりなのか」と憤った。

 儀武剛金武町長は「県警と米軍の間で日付が違うということは、簡単には済まされない問題。(米軍の)科学的なデータを含め、納得できる説明を求めていきたい」と述べた。

 最終調査報告では、昨年12月9、10の両日に実施された部隊訓練で、M2重機関銃から8000発の50口径弾が発砲されたとしたが、乗用車が事件現場に駐車されたのは訓練終了以降として「訓練とは関連がない」と結論付けていた。

 弾道専門家の解析調査で、50口径弾がキャンプ・ハンセンから伊芸区の方向に流れ出ることは「統計学的にも確率が極めて低い」としていた。

 約一週間ぶりにタイムス紙面に「流れ弾事件」の記事が登場した。
 記事によると県警と米軍は事件発生日という基本的与件で真っ向から対立している。
 どちらかがウソをついているのは間違いないのだが。
 それにしても肝心の事件発生日が一日も違うとは。
 推理作家は、僅か数時間の、いや、場合によっては数分間のアリバイ作りに知恵を絞る。
 だが、この「流れ弾事件」の被弾車両のアリバイ崩しには丸一日の誤差があるというから驚きだ。
 沖縄の場合、事実は小説より粗雑ということか。
 通常ならこの場合県警の発表の「10日説」を信じるのだが、沖縄県警の場合、マスコミが扇動する「県民感情」という魔物が絡むとその県警発表も疑わしくなる。
 「11万人」集会の場合でも、「県民感情」に怖気付いて警察発表を控えるような県警だ。
 にわかに県警発表も信じるわけには行かない。
 事件捜査の経緯をみると、当初は石川署が捜査し、米軍の調査班、そして米本国より専門調査団が来島して数ヶ月調査した結果だ。
 いくらなんでも事件発生日を一日ごまかすような粗雑なアリバイ崩すを専門調査団がするとも思えない。
 仮に米軍側がごまかすなら県警が調査できないような技術的且専門的部分でごまかすだろう。
 事件発生日を一日ごまかすような粗雑なアリバイ崩しでは三文推理小説のトリックでも使ってもらえないだろう。
 事件は単純である。
 事件発生日に関して、県警の10日と米軍側の11日のどちらかにウソがある。
 それに米軍の訓練地から駐車場内の車両のナンバープレートまで、流れダマが途中何の障害物にも当たらずに到達するのが物理的に可能かどうか。
 まさか塀をループ上に飛び越えたのではあるまいに。
 さらに疑念は残る。
 装甲車をぶち抜くといわれるM2重機関銃から発砲した50口径弾が民家の車両に到達してナンバープレートを破壊することなく「突き刺さった」状態であることが可能かどうか。
 被弾した民家の被害者を玉城ミツさんと公表しているが琉球新報は「住民の話などから」とぼかしている。
 米軍側の発表によると被弾は住宅街の中であるにもかかわらず、明確な証言者は玉城ミツさん一人しかいないというのも不可解である。
»儀武剛金武町長は「県警と米軍の間で日付が違うということは、簡単には済まされない問題。(米軍の)科学的なデータを含め、納得できる説明を求めていきたい」と述べた。
 儀武町長が言うまでもなく、どちらにウソがあるにせよ、この事件はウヤムヤにすることなく納得できるまで究明すべき重大問題である。
 同時に沖縄紙は、事件糾弾のキャンペーンを張って、「米軍流れ弾事件糾弾の県民大会」の開催まで、持ち込む義務があるのではないか。
 不良米兵と不良女子中学生のナンパトラブを抗議する県民大会を扇動したくらいだから。
 保存資料として琉球新報記事も掲載する。

2009年04月10日 琉球新報 ⇒米軍報告、発生日にずれ 伊芸被弾事件(2009.4.10 琉球新報)

 県警(黒木慶英本部長)は9日、2008年12月の金武町伊芸被弾事件で、在沖米海兵隊が「最近の訓練とは関係ないとの結論に至った」と報告したことについて、(1)県警が米軍側に伝えた発生日時は12月10日で、米軍が認識している12月11日とずれている(2)米側の専門家が調査した被弾事件の分析結果を説明してほしい-とした書簡を在日米軍沖縄地域調整官のリチャード・ジルマー中将あてに送った。
 米軍が訓練と関係ないと結論付けたのは、訓練時に車庫に被弾した車がなかったのが最大の理由。だが、県警が特定、米軍側に報告した事件発生日と丸1日ずれた日を事件発生日として調査報告書をまとめていたことが分かり、調査のずさんさが明らかになった。在沖米海兵隊は3月、12月9日と10日、恩納村内の米軍キャンプ・ハンセン内レンジ(射撃場)7で伊芸区で見つかったものと同じ50口径弾を車両の上に載せたM2重機関銃で8000発発射と発表。訓練日と事件発生日は同じ10日だが、米軍側は「石川署の報告書を参照し、銃弾が見つかった民間車両が車庫に駐車したのは、訓練が終わった後だ」と関連を否定していた。
県警捜査一課は住民の話などから事件発生日時を12月10日午後3時ごろと特定。米軍側にも発生日時を伝えていたが、米軍側の書簡には事件発生日時が12月11日となっていた。
 同課は「米軍側には確かに12月10日を事件発生日と伝えた。なぜ12月11日を発生日としたかは分からない」と困惑。「分析結果の詳しい内容を説明してもらわないと、捜査が進展しない」と強調した。

 国が認めた同盟国の艦船の寄港を自ら左翼集団の反対運動の先頭に立って実力行使する売国奴市長。
 一握りの左翼集団(約30名)を扇動する大浜石垣市長の暴挙を、あたかも石垣市の民意、更には沖縄の民意であるかのように報道する沖縄マスコミの偏向報道振りを、石垣在住の「身土不二」さんが詳しくレポートしています。
 新聞が報じる「プロ市民」活動が事実とかけ離れていることは、良識ある県民は先刻承知している。
 沖縄紙が、こんなデタラメ報道を続ける限り読者の更なる新聞離れは進んでいくであろう。