事件は金武町でおきた!国会でおきたわけではない!
2009-06-13 07:03
号外まで出して大騒ぎした金武町伊芸区の「米軍流弾被災事件」のことを、しつこい当日記が忘れたわけではない。
国会での「政治決着」はさておいて、事件の真犯人を読者に報告するのが地元紙の最低の義務ではないのか。
それとも真犯人を報道できない事情でもあるのか。
マッチポンプとは自分で火をつけポンプで消すことだが、沖縄紙は自分で火をつけ、その後始末もせず自然鎮火を待つつもりらしい。
以下は「再掲」です。
刑事ドラマよくあるシーンにこんなのがある。
主人公の敏腕刑事が綿密な聞き込み調査の結果、犯人の鉄壁のアリバイを崩し、いよいよ逮捕を目前にして課長に呼ばれる。
捜査課長:「アリバイはそのままにして、これ以上この事件を追及するな」
敏腕刑事:「何故ですか。 理由を言ってください!」
課長:「俺にもわからん。 上からの命令だ!」
刑事:「ここで事件がウヤムヤになるのは悔しくないですか!」
課長:「俺も悔しいが、ここは我慢してくれ、上には逆らえん!」
夕暮れの屋台でコップ酒をあおりなが悔しがる二人を背景に、ここで物語りは・・・・[完]
事件が、現場の捜査を無視して政治的に決着することはドラマや小説の世界だけと思っていたら、沖縄の米軍がらみの事件では珍しくないケースだ。
沖縄では「県民感情」が法律に優先するものらしい。
「米兵女史中学生暴行事件」、「米兵比女性暴行事件」などのように事件性はなくとも新聞が騒げば「県民感情」に配慮して「政治的決着」で終わっている。
2008年12月以来沖縄紙が号外まで出して大騒ぎした金武町伊芸区の「米軍流弾事件」は、米軍側のアリバイ調査にもかかわらず、上記ドラマの逆バージョンで終わりそうだ。
米軍の調査団はこう言って悔しがっているだろう。
「事件は現場で起きている。日本の国会で起きているわけではない」と。
まさに事実は小説より奇なり、である。
2009年05月23日 沖縄タイムス ⇒12月10日で米軍認識/伊芸流弾発生 警察庁説明「理解を得た」【政治】 ※リンク切れ
【東京】金武町伊芸区の流弾事件で、発生日が県警と米軍で異なっていることについて、警察庁の西村泰彦審議官は22日の衆院外務委員会で「4月中旬の(日米)協議の場などにおいて、県警が12月10日と説明し、米軍側の理解を得たと承知している」と述べ、発生日の認識が一致したとの見解を示した。赤嶺政賢氏(共産)に答えた。
これまで、県警は12月10日として米側に再三伝えていたが、米軍側は同月11日との考えを示し、食い違いがあった。米軍の最終報告書でも「事件発生は訓練終了以降の11日」と書かれていた。
赤嶺氏は報告書撤回を米側に求めるよう促したが、中曽根弘文外相は「継続中の日本側捜査の結果を見ながら適切に対応する。現時点で調査結果の見直しを求めることは考えていない」と述べるにとどめた。
一方、県警が米側に要請していた基地内への立ち入り調査について、西村審議官は「米側の同意が得られていない。現在まで実現に至っていない」と説明。「(県警は)米軍と協議を重ねて、関係者からの事情聴取やさまざまな情報収集に努めている」とした。
読めば読むほど奇怪な記事だ。
事件の検証を現場で行うシーンはテレビでもよく見る。
現場検証というヤツだ。
それを国会で行う不可解さはさておくとしても、県警と米軍では事件発生日に1日の違いがあったはずだ。
県警の主張を米軍が「理解した」というのなら、当然米軍の最終報告書が間違っているわけで、直ちに報告書を書き変えるのが筋だろう。
更に不思議なことに、米軍は「流弾は第三者が細工した」として米軍の関与を否定していたわけだから、それを翻して「県警の主張=米軍犯人説」を認めたのなら、沖縄タイムスは号外はともかく、一面と社会面のトップで大きく報道しているはずだが、報道されたのは二面の政治面である。
通常だったら社説やコラムもこの「朗報」を見逃すはずはないが、これもない。
目立たない「政治面」で報道したことが事件の政治決着を暗示する。
米軍が県警の主張を認めたのなら、「卑劣な米軍に抗議する県民大会」を開催するのがいつものパターンではなかったのか。
»県警が米側に要請していた基地内への立ち入り調査について、西村審議官は「米側の同意が得られていない。現在まで実現に至っていない」と説明
基地内に立ち入り出来ないのが調査の妨げになっているような印象操作記事だが、事件は民間住宅街で起きており、県警が調査するまでもなく沖縄タイムスの機動力を持ってすれば簡単に聞き取り調査できる極めて単純な事件だ。
何もここでわざわざ基地内に立ち入り調査するほどの事件ではない。
琉球新報を読むと謎は更に深まる。
県警の主張は認めながら、「発生日変更求めず」?
2009年05月23日 琉球新報 伊芸被弾事件、発生日変更求めず 2009年5月23日
【東京】2008年12月、金武町伊芸区の住宅地で発生した民間乗用車のナンバープレートへの被弾事件で、事件発生日時に関し米軍と沖縄県警察で認識が異なっている件について、警察庁の西村泰彦長官官房審議官は22日、衆院外務委員会で「発生日時について米軍は4月中旬の協議の場などにおいて、県警察が12月10日である旨を説明し、米軍側の理解を得たものと承知している」と述べ、これまで日本側が主張する事件発生日を否定していた米側の姿勢に変化が生じていることを明らかにした。
赤嶺政賢氏(共産)の「事件の発生日に関し、米軍は認識を改めたのか」との質問に答えた。
米側が11日を事件発生日とする当初の主張を撤回した場合、米軍と被弾事故とは無関係とした米軍の3月の最終報告書の信ぴょう性が問われることになる。
委員会での質問に先立ち、警察庁から説明を受けた赤嶺氏によると、4月中旬に行われた県警と米捜査当局との協議で日本側が事件発生日を12月10日と説明した際、従来の協議では「10日発生説」に異論を唱えていた米軍が同日は反論しなかった。
発生日について米側の姿勢に変化が生じているものの、22日の衆院外務委で中曽根弘文外相は「現時点で米側に調査結果の見直しを求めることは考えていない。引き続き日本側への捜査への協力を要請していく」と述べるにとどめた。
県警によると、9日と10日には発見現場に隣接する米軍キャンプ・ハンセン内で、被弾事件と同型の実弾を使った射撃訓練が実施されており、被害者の聞き取り調査などを基に10日が発生日だとしている。米側はこれまで、事件発生日は11日とし、3月に発表した最終報告書でも米軍と被弾事件は無関係としている。
さすがに新報は「米軍基地への立ち入り調査云々」は報じていないが、国会で追及したのは沖縄県選出の共産党・赤嶺議員。
「米軍と被弾事故とは無関係とした米軍の3月の最終報告書の信ぴょう性が問われることになる」というのなら、もっと大騒ぎして米軍の最終報告書の訂正まで追及すべきではないのか。
少なくとも「しんぶん赤旗」に「米軍の捏造報告書」くらいの記事が出るのが通常だが、今回は赤嶺議員が国会で追及したことさえ報じていない。
沖縄タイムス、琉球新報は昨日の記事で自分が点けた火を消火したつもりなのか。
以後沈黙を守るつもりならとんだ考え違いである。
事件のあった日は県警の主張と米軍の主張どちらが正しいのか、はっきり読者に知らせる義務がある。
ん?
国会で「県警の主張を米軍が理解した」って?
だったら、米軍の最終報告書を捏造報告書だとして、訂正するまで大キャンぺーンをする責任があるだろう。
それでもダメなら「抗議の県議会決議」⇒「抗議の県民大会」といった一連の得意技があるではないか。
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