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沖縄タイムスはかつて米軍政府の腰巾着だった

 
南島志報 投稿文

 大東亜戦争末期、慶良間諸島で「軍命」によって起きたとされる集団自決は、確たる証拠も信憑性も無いまま語り継がれ、長きに渡り神話となっていた。ところが、一昨年から二年間続いた史実究明の言論戦は、その激しさの故に根も葉もなかった伝聞は吹き飛ばされ、悲惨な事情故に隠されていた事実は公の場で露にされる事となった。

 1950年に発行された沖縄タイムスの『鉄の暴風』は沖縄戦のバイブルとされ、同書を出典として数え切れない孫引き本が出版され続けてきた。また、旧日本軍の残虐行為という戦記物もその証言を検証した形跡はなく、これに信憑性を持たせる為に度々引用されて来たのが『鉄の暴風』に記されていた「軍命」による集団自決であった。

 この二年間で明らかになった状況証拠や新証言から「軍命」による集団自決は、全くの創作(捏造)であり、執筆者等が言っていた沖縄戦記『鉄の暴風』が自社の企画であるという事すら、実はGHQ情報局の差し金であろうことは、動かしがたいものとなった。

 例えば、『鉄の暴風』出版当時の沖縄タイムス紙は、日刊2頁建月ぎめ30円である。先発のうるま新報と違い、ほとんど自己資本が無かった沖縄タイムス社が、一冊200円売りの新書を初版からいきなり、20,000冊(朝日新聞社と各1万)を製作した。また、内地で調達してきた印刷資材の値段は、800万円の輪転機の他、平板印刷機、オフセット版、ジンク版、鋳造機、母型、等々、到底当時の沖縄タイムス社が調達出来る金額ではない。

 GHQの介入を示唆した決定的な新聞報道がある。これは、1950年6月5日付けの沖縄新民報(B)面の記事だ。原文のまま紹介しよう。 ・・沖縄戦記〃鉄の暴風〃 沖縄タイムス社が沖縄戦の、なまなましい記録をひろいあつめたもの、―― 人間生死の血みどろな戦史として綴られ、万人に平和の尊さを説く、得がたき快著であり原稿は同社座安理事が空路携行し、朝日新聞出版局長嘉冶隆一氏が渡米にさきだち、親しく目を通し同社杉山出版部長山中刊行部長や杉山業務部次長等が協力してその筋と出版うちあわせ中であり、諸般の準備を整えて朝日新聞社から7月初頭堂々と出版される筈である、B6版三百頁を予定され、・・・とある。

 文中のその筋とは当時のGHQを指す隠語である。同様の隠語には、「関係各方面」などがある。『鉄の暴風』が発売される前日の1950年8月14日付け沖縄タイム紙には、同書が出来上がるまでの経緯を座談会で語り合っている記事がある。そこには、座安氏のコメントとして、GHQとの関わりを推認できる次のような表現がある。・・・それで朝日社が、一万、こちらから一万と話も決まったわけですが今頃出版パニックでせいぜい売れる本が二、三千だと嘉冶出版局長や杉山出版部長もはなしていました、・・中略・・鉄の暴風出版に当たっては種種各方面の援助もあり、有り難く思っている次第です・・と結んでいる。

 当時は、沖縄県でも本土でもまだまだ紙が自由に手に入らない時に、「せいぜい売れる本が二、三千だ」ましてや今では売れない戦記ものは・・と朝日新聞の役員が出版を断ろうとしていたものが、わずか一週間で、下へも置かぬ対応振りで、二万冊やりましょうと変わってしまった訳だから、何処からか「やれ!金は出す」と圧力がかかったと見る以外に解釈のしようは無く、この時代で、このようなことが可能なのは、GHQ以外にはあるまい。

 沖縄タイムスは当時県民に鬱積していた反米感情を旧日本軍にむけさせ、更には日本政府に向けさせる為に行われた心理作戦の片棒を担いだのだ。これには本土で成功を治めた心理作戦・WGIP(戦争犯罪宣伝計画)が導入された。この沖縄版が、『鉄の暴風』であり、その筆頭に上げられた物語が、慶良間の「軍命」による集団自決という創作話であり、日本軍の犯罪をあげつらう物語である。

 本土では民間情報教育企画課長のスミスが創作した歴史観、「太平洋戦争史」がGHQ情報局の主導で流布され、徹底した洗脳工作が行われた。これまで軍命ありきの語り部として、全国を行脚した方々は、真実が明らかになったこれからを如何に過ごすのだろうか。その中には、渡嘉敷島出身の聖職者もいるのである。これまで、この運動を推し進めてきた方々、とりわけ県内のメディアや教職員組合は、平素、自由や平等、平和を高邁に掲げて他者に説教を垂れているのであるから、このままこれらの被害者等を捨て置く事は、無いようにしてもらいたい。

 沖縄タイムス社は創刊から20,000号となった2004年10月20日の1面に「権力チェック」は不変と岸本正男社長の記念メッセージが掲載されているが、こともあろうに創刊一号から二万号に至るまで、と述べられていては、かつての腰巾着がよくぬけぬけと言えたものだと言いたくなってしまうのは、私だけであろうか。