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疑惑の弾痕!② 「金武町流弾事件」

2010-03-21 09:46
沖縄タイムス

県警は米軍側に対し、基地内への立ち入りや訓練関係者への事情聴取を再三要求したが、米軍側は拒否。 事件発生から約1年後に実現したものの、県警の捜査では「銃弾の出どころは特定せず、どこから飛んできたか分からない」とし、被害者不詳のまま軽犯罪法違反の容疑で書類送検した。 県警幹部は「県民感情は理解しているが、地位協定の枠内でしか県警は動けない。 故意犯でない以上は、器物損害罪での立件も困難。 県警として出来る限りのことをした結果だ」と“協定の壁”を強調する。 結局、那覇地検は09年12月、起訴要件を満たしていないとして不起訴処分を決定。 全容解明にはほど遠く、真相はうやむやなままで捜査は終結した。 金武町によると、同区では1956年からこれまでに、16件の流弾事件が確認されている。88年の流弾事件では、県警が在沖四軍調整官と訓練場から実弾を発射したとされる海兵隊員ら計7人を容疑者と特定した。 ただ、容疑を立件する証拠に乏しく「罪に問えない」という意見書を添えての書類送検だった。 米軍という明確な容疑者像がありながら迷宮入りを繰り返す流弾事件。 事件に抗議する区民総決起大会を開いた金武町伊芸区の池原政文区長(当時)は「憲法より地位協定が優先される沖縄では、50年以上も安保の犠牲となる状況が続いている」と怒りをあらわにする。 事件の全容解明を訴えていた玉城さんは事件発生から約半年後、捜査終結を待たずに急逝した。 唯一人の目撃者が残した言葉は、今回も届かなかった。
(沖縄タイムス 3月17日付特集記事「安保改定 50年 第3章 地位協定(6)」の後半部分)

 タイムスの上記記事を見て、当日記の読者なら次の点に気がつくであろう。
 問題の核心である被弾した乗用車のアリバイについて記事では故意に伏せてあるのだ。

◼被弾乗用車のアリバイ?◼
 事件は基地内で起きたのではなく民間住宅の車庫内でおきている。 通報を受けて初動捜査に当たったのは県警で、証拠物件の銃弾も県警が押収している。
 唯一の目撃者の老婦人の証言を鵜呑みにしたためか、後日米軍側が調査をした時、事故発生日に県警と米軍では一日の差異が生じた。
 米軍側の主張は、目撃者が被弾したという日に、被弾した車は車庫には駐車してなかったというのだ。
 事件が民間住宅地域でおきているので、問題の乗用車のアリバイ証明は県警側で容易に反証できると想ったのだが、その後客観的な反証の話は県警側から出てはいない。
 これは「オバーはウソつかない」という神話を信じた県警側が証言の裏付けを怠った操作ミスではないのか。
 それを隠蔽するため基地内の内の立ち入り調査を主張し、拒否されると「地位協定の」壁に責任転嫁をしているのではないか。

◼基地外の事件の捜査権◼
 基地外の事件を「地位協定の壁」にしてしまう例は他にもある。
 これらはほとんどが県警の初動捜査のミスに起因する。
 数日前の「米兵追突事故」も初動捜査の段階で容疑者を見逃していながら、米軍側に先に容疑者の身柄を確保され、又しても「地位協定の壁」云々を主張している。
 県警側は初動捜査に関して後日、前言を翻しているが、いずれにせよ県警が「事件」の容疑者と知った時は、既に米軍側に先を越されていたのではないか。
 県警は当初容疑者も確認していながら見逃していたと初動捜査のミスを指摘されていた。ところが3月20日のタイムス記事によると、その後一変して「地位協定の壁」が捜査を妨げたと前言を撤回している。

 同記事によると、県警の吉永安彦交通指導課長は「3等兵曹がひき逃げに関与していると知ったときは、米軍がすでに身柄を確保し、憲兵隊のパトカーの中にいた。この状況では(地位協定上)連れ出すことはできなかった」と説明している。
 これでは米兵に初動捜査で先を越されたといわれても仕方がない。
 被害者が「アメリカーにやられた」と叫んでいるのに、県警は、軍車両の運転手が私服の女性だったため、「軍服の米兵」という固定観念に邪魔されて、容疑者を見逃したのではないか。
 基地の外で起きた「当て逃げ事故」の犯人逮捕を米軍に先を越され、「この状況では(地位協定上)連れ出すことはできなかった」と言い訳するのでは、責任逃れとも受け取れかねない。
(沖縄タイムス3月20日)※リンク切れ

 話は脱線したが、「金武町流弾事件」に話を戻そう。
 事件の概要説明のため過去記事を編集加筆したものを引用する。
 事件は一昨年の12月に起きた。
 知らせを受けた県警が初動捜査を開始、流弾を米軍実弾訓練所から飛来したものと断定した。

沖縄タイムス

2010年10月08日 沖縄タイムス ⇒ 沖縄タイムス 2009年10月08日 社説

 <「金武流弾事件」「県警、基地内立ち入りへ」「関係者も聴取」―7日付本紙1面の見出しを読んで、多くの読者は一瞬、首をかしげたのではないだろうか。
 <最近の事件ではない。昨年12月に起きた流弾事件の話なのだ。事件発生から10カ月たつというのに、今もって立ち入り調査も事情聴取も実現していないというのは、異常というしかない。通常の捜査ではあり得ないことだ。
 <在沖米海兵隊は4月、訓練との関連を全面否定する最終報告を明らかにしている。だが、最終報告書には重大な「ほころび」があり、うのみにするわけにはいかない。
 <昨年12月10日午後、金武町伊芸区の民家の敷地内で、パーンという音がして振り返ったら、白煙が上がっているのを、家人が目撃した。
 <最終報告書は、事件が12月11日に発生したことを前提に論理を組み立てている。11日には実射訓練を行っていない。だから、事件には関与していない―というわけだ。だが、県警の調査で事件の発生日が10日であることが明らかになっており、その日に実射訓練があったことも分かっている。米軍もその後、事件発生日に対する認識をあらためた、という。だが、最終報告を撤回したわけではない。事件は依然として謎に包まれたままだ。事件は決して幻ではない。パーンという音がして白煙が上がったという目撃証言は重い。県警は、あらゆる手を尽くして真相究明を進めてもらいたい。>

 読者が十ヶ月も前の事件の詳細は覚えていないだろうというタイムスの驕りが「多くの読者は一瞬、首をかしげたのではないだろうか」という冒頭の文に垣間見える。
 確かに多くの読者は「何で今頃」と思うだろうが、社説はそこにつけ込んで、あたかも米軍側の捜査妨害にあって十ヶ月もの間事件が曖昧にされているといったタイムスお得意の印象操作記事である。
 何度もくり返すが事件は民間住宅地域で起きており、基地内で起きたわけではない。
 しかも現場検証、証拠物件の押収等初動捜査は県警が行い、早々に犯行は米軍だとの結論を出した。
 ところが県警の連絡を受けた米軍の調査団も調査を開始し、「流弾は米軍が発射したものではない」と県警発表と真っ向から対立した。

 ◼被弾自家用車のアリバイへの反証は?◼
 問題は簡単だ。
 被弾を受けた自家用車が被弾した車庫に駐車していた時間が、県警と米軍の調査では一日の誤差があり、その一日のアリバイの差が判断の違いに繋がったわけだ。

 »昨年12月10日午後、金武町伊芸区の民家の敷地内で、パーンという音がして振り返ったら、白煙が上がっているのを、家人が目撃した。

 事件発生日は、両者の主張によるとこうなる。

 ◆ 県警 ⇒ 12月10日 午後3時ごろ
 ◆ 米軍 ⇒ 12月11日 午後4時ごろ

 米軍は県警の報告を基にしながらも、独自の調査で問題の乗用車が事件現場の車庫に駐車していた時間を、次のように特定している。
駐車時間 ⇒ 11日午前零時から13日午前7時30分まで
事件発生(被害者が大きな音を確認) ⇒ 11日午後4時ごろ
 米軍がこのように具体的にアリバイ調査の結果を発表しているのに対し、県警も含めてこれに客観的に反論している事実はない。
 県警によると、被害者らの情報などから捜査の初期段階で発生日時を10日と特定しているが、たった一人の目撃証言を鵜呑みにして初期の裏付け捜査を怠ったのではないのか。

 ◼目撃証言はウソ-米軍の調査結果◼
 事件発覚後、米軍に発生日時を随時伝えていたというが、これに対して米軍は証言を鵜呑みにしないで裏付け調査をして、最終調査報告で「事件発生は訓練終了以降の11日」との結論に到ったのではないか。
 米軍が目撃者は一人しかいないと事実上の名指しをされている玉城さん(車の所有者の祖母)は、事実上「嘘つき」と言われたことに憤りを示しているし、儀武剛金武町長も「納得できるまで説明を求めていく」といっている。

 2009年04月02日 琉球新報 ⇒ 伊芸被弾事件「訓練と日時一致せず」 目撃者証言と矛盾も(2009.4.2)

 さらに米軍側は自家用車の被弾を「第三者の『破壊』」、即ち偽装工作であるとまで断言しているではないか。

 2009年04月11日 琉球新報 ⇒ 伊芸被弾、第三者の「破壊」と指摘(2009.4.11)

 にもかかわらず、その後沈黙を護っていたのは結局納得したと言うことなのか。

 ⇒ ウソつきは誰だ!疑惑の銃弾 メア総領事とコーヒー

 ⇒ 「米軍vs県警」疑惑の銃弾大戦争勃発!発生日に食い違い

 ◼事件は単純だ◼
 複雑そうに見えて問題は簡単だ。
 次の二点が正しいかウソ課の問題である唯一の目撃者の証言が正しいか、それともウソだったか。
 そして自家用車の「弾痕」が第三者の工作か否かと言うことになる。
 ちなみに新聞ではあまり報道されていないが、被弾した乗用車の所有者が目撃証人の孫であることは金武町では周知の事実である。

 ◼「地位協定の壁」は魔法の壁?◼
» なぜ、立ち入り調査や事情聴取が実現しないのか
 タイムス社説は事件を曖昧にしょうとして、基地内の立ち入り調査を問題視しているが、問題解明には意見の分かれる「駐車時間」のアリバイ調査が最重要ではないのか。
 基地内に立ち入り調査せずとも問題の車が現場に駐車する前の時間帯(11日午前零時以前どこに駐車していたか)を時系列で追っていけば複数の証言者も出てくるだろうし、県警、米軍、どちらが正しいか容易に解明できたはず。
 民間住宅地で起きてこれだけマスコミが騒いだ事件なら、県警の調査を待つまでもなく沖縄タイムスでも聞き取り調査は出来たはずだ。
 それを十ヶ月も経過して「基地内立ち入り調査」しても一体何の意味があるというのか。
 そうそう、一つ書き漏らしたが、社説では何故か触れていないが唯一人の目撃者(車の所有者の祖母)である最重要証人は既に亡くなっているとのこと。
 これでは正に死人に口なしで、真相は藪の中という可能性もある。
 本件は国会で日米間で「政治決着」をつけたが、あれだけ騒いだマスコミとしては無意味な「立ち入り調査」でもして、「地位協定の壁」に責任転嫁をして、「事件」をうやむやにしたいのであろう。
 「地位協定の壁」は、新聞の勇み足による誤報も、県警の捜査ミスも、全てを解決してくれる便利な魔法の壁なのであろうか。

 「事件」ほこのように終結した。

 2009年04月01日 琉球新報 ⇒ 訓練との関係否定 金武町被弾事件で海兵隊最終報告(2009.4.1) ※リンク切れ

 2009年05月22日 琉球新報 ⇒ 発生日時で警察庁「米軍の理解得た」 金武町流弾事件(2009.5.22)

 2009年05月23日 琉球新報 ⇒ 伊芸被弾事件、発生日変更求めず(2009.5.23)