幻の流弾事件①、沖縄紙の嘘を暴く
2013-10-06 05:57
沖縄2紙が米軍を貶めるのに手段を選ばない。
歪曲・捏造報道は日常茶飯事で、典型的な手口にこんなのがある。
先ずデタラメ記事を垂れ流し、それがガセだと露見したら突然沈黙し、フェードアウトで読者が忘却するのを待つ。
実に卑劣な手口だ。
その一例として2008年から2009年にかけて米軍攻撃の大キャンペーンを張った金武町・伊芸の流弾事件がある。
今ではほとんどの読者が忘れ去ってしまった「金武町流れ弾事件」。
その顛末を過去ブログより抜粋し、沖縄紙の捏造体質を糾弾する。
以下は過去記事の再掲である。(一部編集)
沖縄がまだ米軍の統治下にあった頃、夏休みに大学のクラスメート二人を伴って帰省したことがあった。 新幹線の出来る前のことである。
午前11時丁度の急行「霧島」で東京駅を発って一路鹿児島まで行きそこで一泊。 さらに船で那覇に向かう。 途中で船中一泊という長旅で、今から考えれば帰省といっても大旅行の大変な時代であった。
もちろん二人の友人は初めての沖縄旅行であり、パスポート持参の旅は彼らにとって外国旅行そのものであった。 当時は沖縄についての情報はほとんど無く、「基地の島沖縄」程度の予備知識しかなかったようで、沖縄では英語で学校教育をしていると誤解する人さえ居た。
だが二人の友人が一番心配したのは米軍の存在ではなく、ハブに咬まれないかということであった。 那覇で育った筆者はハブといえばマングースとの決闘で見る見世物の感覚で、それまで野生のハブには遭遇したことが無かったので、友人の「ハブが怖い」という心配には少なからず驚いたものである。
このように観光客とその地域に住む者の生活感のギャップは大きいものだ。
最近でも、高速道路で名護方面から那覇に向かう途中、金武町界隈に差し掛かったとき右手に見える大きな「○○に注意!」の看板には以前から違和感を感じていた。
地元の事情を知らない観光客にとって徒に恐怖感を煽るだけで、何の役にも立たないその看板について、だいぶ前に「百害あって無益の看板を撤去すべき」と地元紙に投稿したが,無視され掲載されることは無かった。
ところが、誰でも同じことを考えるもので、昨日の沖縄タイムスに名護市の富原さんという方の同じ趣旨の投稿文が掲載されていた。
で、「○○に注意!」の看板は、高速道路にハブは出ないから無用の長物だというのなら、いささか考えが甘い!
看板を立てた面々にとっては、ハブより怖い物が沖縄には存在すると言いたかったのだ。
とりあえず12月21日付け沖縄タイムスのオピニオン面の富原さんの投稿文を紹介する。
美ら島沖縄に流弾看板物騒 富原守和=63歳 (名護市)
金武町のキャンプハンセン基地内で訓練らしい連続射撃音響いて周辺住民から苦情が出ている。射撃訓練といえば自動車道を那覇向けに運転していると、金武から伊計に差し掛かるところに「流弾に注意!米軍実弾訓練中」と書かれた物騒な看板が目に付く。
一体誰がこの無責任、無神経な看板を立てているのだろう。 いくら2割を米軍基地が占める基地の島とはいえひどい看板だ。だいいち追突、速度注意などとは違い、ドライバーとしては、どのようにして流れ弾に注意すればよいのかわからない。 もし流弾事故遭おうものなら「注意喚起してあった」とでもいうのだろうか。 ともあれ毎日道路を利用する者にとって小気味が悪い。 エコ観光を宣伝してより多くの観光客誘致に全県挙げて取り組んでいる“美ら島沖縄”に、このような看板はふさわしくない。道路の管理監督者は流れ弾被害を防ぐ安全管理は当然として、この目障りな看板を早々に撤去してほしい。
つまり投稿者の富原さんは「流弾に注意!米軍実弾訓練中」という立て看板が実情に即しておらず、沖縄を知らない観光客などの恐怖心をいたずらに煽るだけで何の意味がないといいたいのだ。
筆者の記憶が正しければ、問題の看板は高速道路の施設内ではなく、道路外の山肌に設置されており、道路管理者の管轄外の物であったはず。 したがってこの物騒な看板を設置した者は道路管理者でも米軍関係者でもない、反米思想の市民団体の方々が設置したものと聞く。
投稿者の富原さんはその辺は百も承知の上、新聞に掲載されるためのテクニックとして「道路監督者は流れ弾被害を防ぐ安全管理は当然」と事実上不可能ななことを述べているものと推察する。 冒頭の「金武町のキャンプハンセン基地内で訓練らしい連続射撃音響いて周辺住民から苦情が出ている」というくだりもタイムスの担当者の心をくすぐるに十分な富原さんの掲載されるためのテクニックだと見た。
いずれにせよ、初めて沖縄観光に来た観光客がくだんの看板を見て、沖縄とは、流れ弾を避けながらドライブする危険な地域だと誤解されかねない。 看板を設置した市民団体にとっては思う壺だろうが、女性人権団体が喧伝するように「沖縄とは米兵の強姦魔が徘徊する地域」に加えて「流弾が飛び交う危険地域」という印象になったら、米軍を貶めるためには手段を選ばない沖縄紙にとって「社の方針に合致する」だろうが、観光立県を目指す沖縄にとってはとんだ迷惑な話である。
⇒ 疑惑の弾痕!①米軍流弾事件 ウソつきはどちらだ (2010-3-18)
米兵の起こした事件、事故ならどんな些細なことでも、抗議のための議会決議、そして「県民大会」へと扇動するのが沖縄紙の常道であるが、交通事故や窃盗、暴行等の事件は米軍基地が撤廃されたからといってなくなるわけではない。
なぜなら沖縄人による同種の事故、事件は米兵のそれの何倍も多く発生しているからだ。沖縄紙があえて報道しないだけである。
だが、米軍の実弾による射撃訓練の流弾が民間住宅の車庫の自家用車を直撃したとなると、問題は自ずと異なってくる。
流れ弾は、自動車どころか住民を直撃する可能性があり、一歩誤れば大惨事にもなりうる重大事件である。
これは、他の米軍関連の事件と違って米軍基地が撤廃されれば、二度と起こることは無い事件でもある。
だったら沖縄紙は、米兵の交通事故で大騒ぎするより、「疑惑の銃弾事件」を引き続いて糾弾する方が米軍基地反対運動の本筋ではないのか。
昨日の沖縄タイムスの連載特集「安保改定50年 第3章地域協定(6)」に、忘れかけたような「米軍事件」が掲載されている。
昨年の前半、沖縄タイムスと琉球新報が号外を出したり、社説を書いたりで、狂ったように糾弾し続けていた「金武町流弾事件」である。
米軍の起こした事故は、それが些細な交通事故でも地元紙は大騒ぎすると再三書いたが、実弾射撃訓練中の米軍の流れ弾が住宅街の民家の車庫に駐車中の車を直撃したとなると、問題は別だ。
米軍基地の賛否はさておいて、沖縄県民なら誰でも、これを些細な交通事故並みに軽く見過ごすわけにはいかないはずだ。
この報道を聞いた当初、筆者は米軍は早急に責任者が謝罪し、それ相応の補償をしなければ収拾のつかない重大問題に発展すると考えていた。
ところが事件は思わぬ「迷宮入り」という形で終息したのだ。
これは米軍が犯人という意味では比較的単純な事件ではなかったのか。
だが実は、事件発生当時、連日のように一面、社会面のトップで「米軍の凶行」を糾弾する報道を見ているうちに、一つの疑念が湧いていたのだ。
「これはでっち上げではないか」と。
地元新聞や県警が「米軍の犯行」と断言した「事件」が実は「でっち上げ」であった例は、少なからずある。
「米兵女子中学生暴行事件」や「比女性婦女暴行事件」のような「でっち上げ事件」と同じように、この「金武町流弾事件」にも胡散臭さを感じたのだ。
発見された銃弾は米軍が使用の銃弾だったが、米軍の「犯行」だと初動捜査に当たった県警が断定した唯一の根拠は、当時70歳女性の証言だけであった。
だが、その後の米軍側の調査によると被弾をした車両が現場に駐車していた日時が県警の捜査と米軍の調査では丸一日の誤差が出てきた。
「米軍の犯行」として簡単に一件落着のはずの事件が、意外な方向に展開していくことになる。
沖縄タイムスの昨日の記事で事件の概要を説明するとこうなる。
2010年03月17日 沖縄タイムス
「安保改定 50年 題3章 地位協定(6)」
金武町の流弾事件
米軍弾特定も迷宮入り
2008年12月10日午後3時すぎ、金武町伊芸区の民家の駐車場で「バーン」という乾いた音が響いた。 駐車場で鉢植えに散水していた玉城ミツさん=当時(70)が、音のした方を振り向くと、駐車場の地面から白煙があがっていた。 銃弾が発見されたのは3日後。 駐車場に止めてあった乗用車のナンバープレートに楕円形の穴が開き、銃弾のような金属片がめり込んでいた。「車がなかったら、私に当たっていた」。恐怖がこみ上げた。銃弾は長さ約4・5センチ、直径1センチ。 県警が鑑定した結果、同区に隣接する米軍キャンプ・ハンセンで使用されているものと同じ50口径弾と断定。 一方、米軍側は独自調査で、事件発生の前日と当日の部隊訓練で、M2重機関銃から8000発の50口径弾が発砲されたことを認めたものの、流弾との関係を否定した。(沖縄タイムス)
ここまで読むと、初めてこの事件を知る読者なら、米軍の対応には到底納得ができないであろう。
実弾訓練中の米軍の銃弾が民家を直撃しても、「犯人」の米軍は非を認めて謝罪するどころか、「自分等が発射したものではない」と開き直っているのだ。
当然、新聞は糾弾のキャンペーンを大々的に打つだろうし、国会質問だって当然あってしかるべき問題だ。
事実、沖縄タイムスは昨年の前半までは、一面トップは勿論社説や号外まで出して米軍の理不尽な言動を批判し国会質問まであった。
ちなみに先日の米軍車両の駐車場迷い込み事件の際も「地位協定違反」だとして国会質問をした沖縄選出の社民党の照屋寛徳議員等は、沖縄県警に告発状を提出したくらいだ。
ところがである。
米軍側の二度に渡る調査の結果、銃弾は米軍使用のものと同種ではあるが、事件当日米軍が発射したものではないと当初の判断を確認した。
そしてその根拠を、乗用車の弾痕は第三者が施したものであり、被弾した乗用車も事故当日現場に駐車していなかった、と断定したした。
駐車の日時に関して、県警と米軍が真っ向から対立したのだ。
つまり唯一の証言者の夫人の証言がウソであり、銃弾も誰かが細工したものだというのだ。
米国本土から来県した専門の調査団のこの発表に、県警も緒言者も或いは自家用車の所有者も論理的な反論は何一つ出来ず、「近隣で米軍の実弾訓練があるのだから、犯人は米軍以外には考えられない」といった極めて感情的な反論に終始した。
何より不可解なのは沖縄タイムスと琉球新報の報道姿勢の変化である。
昨年の前半は連日米軍批判の報道を続け、このままでいくと当然「県民大会」にまで発展するのかと思ったのだが、後半に入ると目だって記事の数が減り、昨年末県警が不起訴にしたのを気に紙面で)関連記事を見ることはなかった。
それが昨日、忘れた頃、ひょっこり沖縄タイムスの記事に現れたので驚いたのだ。 それも「安保50年」という特集記事に紛れるように。
沖縄タイムスはリンク切れが早いので琉球新報をググッて見たら、昨年の12月の県警の不起訴を期にこの問題に終結をする気なのか、関連記事と社説で1年を締めくくっていた。
2009年12月10日 琉球新報 ⇒ 琉球新報 2009年12月10日 社説 【12月10日】
金武町被弾事件 協定改定し捜査の壁なくせ
昨年12月、乗用車のナンバープレートから銃弾が発見された金武町伊芸区被弾事件で、那覇地検は被疑者が特定できないとして不起訴処分とした。米軍の銃弾であることが判明しているにもかかわらず、事件の幕引きが図られる。法治国家としてあってはならないことだ。
事件や事故の再発防止や発生時の捜査の観点から、米軍基地を抱える全国の渉外知事会は日米地位協定改定を強く求めてきた。だが国は「運用改善で対応できる」と言い続けてきた。その結果が事件の“迷宮入り化”だ。
事件の徹底した検証と事実解明なくして再発防止対策はありえない。伊芸区の池原政文区長は「問題がうやむやにされた。考えられない結果」と、危険な基地に隣接して暮らす不安と重大事件に対する処分に不満をぶつけている。
事件・事故の捜査は本来速やかに現場検証がされなければならない。事件発生後、県警は実弾射撃訓練場への立ち入り調査を米軍に再三求めていた。認められたのは発生から1年近くたった今年11月。当時、実弾射撃訓練に参加した部隊はすでに移動した可能性が高く、事情聴取に至らなかった。これでは真相解明などおぼつかない。
銃器の特定もできず、県警は被疑者不詳の軽犯罪法違反で書類送検した。県警もじくじたる思いであろう。一方で、一歩間違えれば人命にもつながりかねない重大事件が、単なる軽犯罪法違反というのも納得がいかない。
政府のいう運用改善とは「米軍の好意的考慮」を意味している。米軍に拒否されれば捜査は進展しない。今回の事案はその象徴的な事例といえる。
運用改善でこの種の事案の解決は図れないと認識すべきにもかかわらず、岡田克也外相は「演習に伴う可能性はほとんどない」とする米軍の説明をうのみにしている。その上で「さまざまな努力を(米側に)お願いした」とコメントしている。政府は今回の事件や捜査の在り方に対する認識が甘すぎないか。
事件はまぎれもなく国内で起きている。いかなる法律も条約も国民の命を守るためにあるべきで、法治国家の基本である。事件捜査に米軍への遠慮は不要。米軍の好意に依拠する捜査など主権国家にあってはならない。
地検が不起訴処分 金武町被弾事件2009年12月9日
2008年12月10日に発生した金武町伊芸被弾事件で、県警が米軍の訓練との関連を調査し、軽犯罪法違反容疑で被疑者不詳のまま書類送検していた件で、那覇地検は8日、被疑者が特定できていないとして、同事件を不起訴処分と決定した。住民を危険にさらした事件は真相が解明されず刑事罰も問われぬまま、捜査は事実上終結した。また同事件の捜査で、県警が実弾射撃訓練場への立ち入り調査を複数回打診していたにもかかわらず、軍事機密にかかわるとして、09年7月末まで米軍側に拒否されていたことが、8日までに分かった。
日米地位協定では公務中の事件の第一次裁判権は米軍側にあり、在沖海兵隊は被弾事件を調査し結果を09年4月に公表。(1)訓練場から伊芸区方向に銃弾が流れ飛ぶ確率が極めて低い(2)発生日に訓練は実施していない―などの理由で「最近の訓練とは関係ない」と結論を出し、米軍訓練施設からの流弾とみていた県警側をけん制していた。
県警は09年2月に押収した弾丸を米軍のものと特定したと公表。関係者によると、複数回にわたり基地内立ち入り調査を要請したが、米軍側が軍事上の機密にかかわるとして難色を示し、両者間で調整が続けられたという。立ち入り調査は事件から約1年後の同年11月末に実現したが、訓練に参加した部隊はすでに移動した可能性が高く、事情聴取できなかったという。
弾丸を発射したとみられる部隊から事情を聴けなかったほか、押収した弾丸から線条痕(ライフルマーク)が欠落していたため、県警は発射した機銃を特定できず、軽犯罪法違反の1年の時効間際に被疑者不詳のまま書類送検した。
金武町伊芸区の池原政文区長は、不起訴の結果に「問題がうやむやにされてしまった。考えられない結果で非常に残念だ」と落胆した。
この事件に関しては当日記の読者なら、事件の経過を承知しているだろうが、改めて読み返して見たい方の便宜を考えてブックマークで「金武町流弾事件」として分類しておいた。
ちなみに事件現場は基地外の民間住宅で起きており、初動捜査も県警が行っており記事が主張するような地位協定の壁は存在していない。
昨日の沖縄タイムス」記事も、上記引用の琉球新報記事も事件発生より既に一年以上経過しているため読者は詳細を忘れていると高をくくっているのか、米軍側が主張した被弾した自家用車の駐車日時の一日のズレについては卑劣にも一行も記していない。
また基地の立ち入り調査を拒否されたため「地位協定の壁」が県警が充分な捜査が出来なかったような印象操作をしているが、事件を最初に捜査したのは米軍ではなく県警である。
そもそも事件は基地の中で起きたのではない。民間住宅でおきているのだ。 初動捜査に当たった県警が充分な聞き取り捜査を出来ないはずはないし、タイムス、新報もその機動力を持ってすれば車の駐車時間のアリバイについては、米軍の主張が虚偽ならば、その矛盾を容易に崩すことは出来たはずだ。
現場の目撃証人の証言を客観的に調べることなく、「地位協定の壁」のせいにするのは言い掛かりにというものだ。
なお本件は沖縄選出の共産党の赤嶺議員により国会質問をしたが、米軍側の回答は「米軍が発射していないという調査結果は正しい」としている。