疑惑の銃弾はどうなったか マスコミには説明責任がある!
2009-04-30 07:04
生き証人という言葉に人は弱い。
生き証人とは、ある出来事を体験あるいは目撃していて、なおかつ生きてい証言ができるということだろう。
だが、その証言が必ずしも正しいとは限らないことは数多くの事例が証明する。
渡嘉敷島、座間味島の集団自決に隊長命令があったという生き証人は数多くいるが、客観的検証に耐える証言は一つも無い。
沖縄のマスコミとそこに巣食う識者と呼ばれる人々が総力を結集して、「軍命令による集団自決」の証人を捜している。
だが、ただの一人として「軍命令による」と証言できるものはいない。
彼らが証言するのは悲惨な集団自決の証言ではあっても、「軍命令による」という証言ではない。
たった一人の目撃証言が米軍と沖縄県警の調査能力を決める大変な事態になってしまった。
金武村で起きた「米軍流弾事件」のことである。
沖縄タイムス、琉球新報両紙の紙面から消えたまま遂に4月末を迎えた。
やはり、いつもの大山鳴動何とやらなのか。
いや、今回はネズミの代わりに一人のおばぁが目撃者。
事件が起きた当時は連日社説やコラム動員して米軍糾弾のキャンペーを張っていたはずだが、4月に入ってからは沈黙を守ったままであった。
あれほどくり返し「事件をウヤムヤにするな」と叫んでいた勢いはどこへ消えたのか。
事件の決め手はアリバイだった。
2009年04月11日 沖縄タイムス ⇒「11日発生」と関与否定 伊芸区流弾事件/最終報告書 米軍「訓練なかった」【04月11日】 ※リンク切れ
金武町伊芸区の流弾事件の発生日の特定が県警と海兵隊で異なっている件で、米海兵隊がまとめた最終報告書の詳細が10日、分かった。県警調査による事件発生日時の食い違いが新たに浮き彫りになったほか、米軍が銃弾について独自に調査した内容が明らかになった。
1日、県警が米軍から受け取った最終報告書は書簡形式のA4判3枚、日本語訳3枚も添付されている。
それによると米軍は、石川署が昨年12月19日に作成したとされる報告書を基に、発生日時を「昨年12月11日午後4時ごろ」と記述。キャンプ・ハンセンでの訓練を同11日から13日まで実施していなかったことから、「訓練場から発砲された証拠が見つからなかった」と結論づけた。
目撃者については「被害者の女性以外にはいない」などと記述。ナンバープレートに銃弾が突き刺さっていた乗用車は(昨年12月)11日午前零時から13日午前7時30分まで駐車されており、被害者が大きな音を確認したのは11日午後4時ごろとしている。
さらに報告書は、県警が銃弾の鑑定結果として断定した50口径弾は、米軍キャンプ・ハンセンのレンジ7とキャンプ・シュワブのレンジ10で使用。弾芯には通常、銅などの被帽(ジャケット)がついているが現場では確認されず、さらに弾には若干のゆがみはあるが変形していない―などと記載されていた。
県警は被害者の情報などから捜査の初期段階で発生日時を(昨年12月)10日午後3時ごろと特定。事件発覚後、米軍に発生日を随時伝えていたという。
事件発生日が、県警発表と米軍側の調査と1日の差があることが決め手となった。
県警は住民の話などから事件発生日時を12月10日午後3時ごろと特定し、米軍側にも発生日時を伝えていた。
だが、米軍側は独自の調査により事件発生日時は12月11日と特定していた。
県警と米軍の主張するアリバイの誤差が数分間、いやせめて数時間でもあれば、推理小説の題材にもなろう。
だが、誤差がまる一日では、どちらかの捜査がずさんだったということであり、単純すぎて小説の題材にもならない。
事件発生日は、両者の主張によるとこうなる。
- 県警⇒12月10日 午後3時ごろ
- 米軍⇒12月11日 午後4時ごろ
米軍は県警の報告を基にしながらも、独自の調査で問題の乗用車が事件現場の車庫に駐車していた時間を、次のように特定している。
駐車時間⇒11日午前零時から13日午前7時30分まで
事件発生(被害者が大きな音を確認)⇒11日午後4時ごろ
米軍がこのように具体的にアリバイ調査の結果を発表しているのに対し、県警も含めてこれに客観的に反論している事実はない。
県警によると、被害者らの情報などから捜査の初期段階で発生日時を10日と特定しているが、たった一人の目撃証言を鵜呑みにして初期の裏付け捜査を怠ったのではないのか。
事件発覚後、米軍に発生日時を随時伝えていたというが、これに対して米軍は証言を鵜呑みにしないで裏付け調査をして、最終調査報告で「事件発生は訓練終了以降の11日」との結論に到ったのではないか。
米軍が目撃者は一人しかいないと事実上の名指しをされている玉城さんは、事実上「嘘つき」と言われたことに憤りを示しているし、儀武剛金武町長も「納得できるまで説明を求めていく」といっている。
にもかかわらず、その後沈黙を護っているのは結局納得したと言うことなのか。
2009年04月10日 沖縄タイムス ⇒発生日に食い違い 流弾事件/再三通報 県警10日→米軍11日【04月10日】 ※リンク切れ
米軍側が示した事件発生日について、被害者の玉城ミツさんは「被弾が11日というのはあり得ない。米軍は事実を曲げ、真実を隠そうとしている」と批判。11日には町内の幼稚園の行事に出席していたといい、証言すら否定されたことに強い怒りを示した。
池原政文伊芸区長は「11日の可能性はみじんもない。米軍はあくまでしらを切り通すつもりなのか」と憤った。
儀武剛金武町長は「県警と米軍の間で日付が違うということは、簡単には済まされない問題。(米軍の)科学的なデータを含め、納得できる説明を求めていきたい」と述べた。
結局米軍と県警のどっちが嘘つきかということになる。
それを基にこのようなエントリーをした。
⇒ウソつきは誰だ!疑惑の銃弾 メア総領事とコーヒー
⇒「米軍vs県警」疑惑の銃弾大戦争勃発!発生日に食い違い
複雑そうに見えて問題は簡単だ。
目撃者の証言が正しいか、それともウソだったかと言うことにもなる。
いや、目撃には勘違いだってありうる。
米軍発表と県警発表といずれが正しいとしても、アレだけ大騒ぎした地元二紙がこのまま沈黙を守ることは読者に対する大きな裏切りだ。
事件は昨年12月、号外発行で大々的に報じられた。
2008年12月14日 琉球新報
【金武】13日午後7時半ごろ、金武町伊芸区に住む建設会社従業員の玉城陽一さん(25)から、自宅の駐車場に止めていた乗用車のナンバープレートに銃弾のようなものがめり込んで壊されているとの通報が警察にあった。
石川署が調べたところ、銃弾のようなものは長さ約4・5センチ、直径約1センチで、字光式ナンバープレートの表部分を貫通、裏側のプレートで止まっていた。米軍キャンプ・ハンセンからの流弾の可能性があり県警が銃弾を鑑定するなど捜査している。同演習場から現場までの距離は、最短で約300メートル。
玉城さんは13日午前7時ごろに、ナンバープレートに穴が開いているのを確認。何者かのいたずらかもしれないとみて、いったん仕事に向かい、帰宅後にナンバープレートを外して調べると、裏板の中に銃弾のようなものがめり込んでいた。
一方、10日午後3時半ごろ、玉城さんの祖母・ミツさん(70)がこの駐車場で作業をしていた際、「バーン」という大きな音を聞いた。同時に車付近から白い煙が出ていたという。ミツさんは周囲を確認したが、ナンバープレートの破壊には気付かなかった。銃弾のようなものは、この時にめり込んだ可能性が高いとみられる。(略)
»10日午後3時半ごろ、玉城さんの祖母・ミツさん(70)がこの駐車場で作業をしていた際、「バーン」という大きな音を聞いた。同時に車付近から白い煙が出ていたという。
米軍調査団は問題の乗用車を車庫に駐車していた時間を「11日午前零時から13日午前7時30分まで」とかなり正確な時間を把握している。
しかも、米軍側はナンバープレートに突き刺さっていた銃弾について、次のようの疑問を呈している。
「50口径弾は、米軍キャンプ・ハンセンのレンジ7とキャンプ・シュワブのレンジ10で使用。弾芯には通常、銅などの被帽(ジャケット)がついているが現場では確認されず、さらに弾には若干のゆがみはあるが変形していない」
事件直後、国会議員の照屋寛徳氏、や山内徳信氏らが米軍を沖縄県警に告発している。
これもウヤムヤにはして欲しくない。
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